「愛着」次世代へ
戦前にできた木造校舎で授業を続けている小学校が、仙台市泉区の郊外にある。校舎落成から今年で80年、7月1日に開校記念日を迎える根白石(ねのしろいし)小学校だ。校舎は老朽化し、3年前に取り壊しか耐震補強かの選択を迫られたが、地元住民の希望で“未来”に残された。シンボルの長い廊下は、児童の毎日のふき掃除で輝いている。たくさんの人の愛着が染み込んだ校舎を自分たちで守る-。歴史ある木造校舎は子どもたちの心の教育にも役立っている。(吉原知也)
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黒の木目が美しい壁、赤い屋根からは鳩時計を思わせる三角形の小窓が飛び出している。デザインに凝った鉄筋コンクリートの校舎とは異なる素朴な外観。校舎に足を踏み入れ真っ先に目に入るのは、長さ90メートルのまっすぐに伸びた廊下。まるで忠臣蔵の松の廊下のよう。ゆがみのあるガラス窓から陽光が差し込み、ピカピカに輝いている。
「まだ、ここふいていないよ。競争しよう!」
放課後、6年生の元気なかけ声が廊下に響いた。全校児童106人が学年ごとに4、5人に分かれて、自分の教室前の廊下をぞうきんでからぶきする。清掃業者のワックスがけを年3回行っているが、輝きの秘訣(ひけつ)は、このぞうきんがけにある。
「児童に学校を守る心が育つんです」と伊東智恵子校長(53)。同校児童は地域の清掃活動でも積極的にゴミを拾うのだそうだ。
6年生の高橋啓太君(11)は「隅にほこりがたまるから、掃除のときは注意してふいています」、米田百花さん(12)は「木の床を磨くことが楽しくて、家の掃除も手伝うようになった」と清掃に余念がない。
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同校は明治6年開校で、昭和5年に現在地に移転した。年月を重ねて、今年で丸80年。仙台市内の小学校で唯一の木造校舎となった。
長年の風雪に耐えた木造校舎は平成19年、安全面から取り壊しか耐震補強による存続かが問題となった。市教育委員会とPTA、地元町内会の3者で議論を重ねたが、住民側から出た意見の大半は「木造校舎を残したい」という希望。行政側もそれを尊重し補強工事に着手、20年末に完了した。
木のぬくもりに包まれた校舎は多くの人をひきつける。昨年11月、元校長の娘のチェリストが演奏会を開催すれば、今年3月には、昭和5年入学の元児童が校長室に集まり校歌を合唱、昔を懐かしんだ。玄関で来客を迎えるマットは同年入学の7人が寄贈したものだ。校舎をモデルに風景画を描いたり、写真撮影に遠方から訪れる人も後を絶たない。
祖母も卒業生という6年生の鴇田真弥さん(11)は「風が通る校舎だから冬はすごく寒いけど、夏は涼しい。校舎の話をよくおばあちゃんとする。木に囲まれて落ち着く校舎が大好き」と笑顔をみせる。
木造校舎は時代を紡ぎ、交流の輪も広がっている。「先輩が育った校舎を今の児童が大事に思う。昔とほとんど変わらない校舎だからこそ、ぞうきんがけでこうした思いが引き継がれる」と市教委も教育的な意義の大きさを指摘する。
伊東校長は目を輝かせてこう語る。「天井の木目、床がきしむ音、木が生きていることを実感できる校舎。地域、児童、教職員、みんなが愛着を持って、人間関係がつながる校舎。学校全体で大事にしていきたい」
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■根白石小学校 明治6年に根白石17番小学校として開校。当時は児童38人。その後、根白石尋常小学校に改称し、昭和5年に現校舎を総工費6万9000円(当時)で建築した。当初は平屋を3棟つなげた形だったが、児童の減少などで一部取り壊され、現在は2棟だけになっている。
平成20年からの耐震補強工事には同校出身者の宮大工が加わり、校舎の基礎構造を変えることなく、耐震、断熱に効果のある土壁を残すことに成功した。同年の岩手・宮城内陸地震では、窓ガラス1枚割れることなく揺れへの強さを証明した。