茨城空港の「曇りガラス」飛行機見えないと不評

茨城空港ターミナルビルの来場者が7月末、開港から4か月半で50万人を超えた。

 1日当たりの来場者数は平均3700人で、当初見込んでいた500人程度を大幅に上回った。新たな人気スポットとして期待が高まるが、来場者の視界を遮る「曇りガラス」がその先行きを不透明にしている。

 ターミナルビルは駐車場が無料のため、平日でも空港を一目見ようと、茨城県内の住民団体や老人クラブが気軽に訪れている。飛行機の離着陸が目の前で見られる2階の送迎デッキは、航空機ファンや家族連れがカメラを向ける絶好のスポットとなっている。

 ただ、滑走路の先には航空自衛隊百里基地があり、基地保全の観点から、送迎デッキは斜めから見ると透過できない加工を施した特殊ガラスを使用。このため、見学者はガラスのすき間からのぞき見るなどの不便を強いられている。

 県空港対策課は、視界の悪いガラスについて「不便とは思うがバランスをとった形なので……」と釈明。19日の県議会出資団体等調査特別委員会では、「基地側に何かつけたら」と改善を求める声もあった。

(2010年8月20日09時52分 読売新聞)

東京で空襲があった

◆いきなり爆風、体が浮き上がった/78歳女性の記憶

 1945年8月。東京では空襲が続いていた。「東京大空襲・戦災誌」(東京空襲を記録する会編)によると、10日早朝には米軍機150機が板橋や王子地区を襲い、1万人近くが被災し、約200人が死亡。さらに13日、品川や蒲田方面を60機が襲い、30人が死亡している。

 当時、品川区の大井鹿島町(現・大井6丁目)に住んでいた日比野繁子さん(78)=大田区山王1丁目=は当時13歳。13日、庭の一角に作っていた菜園に爆弾が落ちた。

     ◇

 あの日はいつも通り、午前5時20分に起きた。すぐ警戒警報が鳴ったが、朝食もその後の部屋の掃除もいつも通り。そこへ、小型機のキーンという甲高い音と高射砲の音がした。空襲に慣れちゃっていたから、父はまだのんびり新聞を読んでいたわね。でも母はすぐに私と地下壕(ごう)へ向かったの。父が証券会社を経営していたから、家の敷地は広く、地下壕につながる地下室もあったのよ。

 地下道でいきなり爆風を受け、体が浮き上がった。もう少し広ければたたきつけられていたわね。その時、私が真っ先に心配したのは、炊いていた小豆のことだったのよ。

兜町は情報が早かったようで、12日には父の元に敗戦の情報が入っていたの。現実主義者の父は軍部が嫌いで、「戦争が終わるのはおめでたいから赤飯を炊こう」って。13日の朝から、貴重な小豆を炊いていたの。

 結局、家族は無事で、家屋もガラス戸や障子が吹き飛んだだけ。家の中に1センチほどの土が積もっていて、掃除は大変だったわ。そうそう小豆はね、ひしゃげたお鍋ごと七輪の中にあったわよ。たしか、汚れをとって、食べたはず。

 田舎がなかったから44年11月から箱根の旅館の一角を借りて、「半疎開」って言って、行ったり来たりしていた。当時箱根には、日本にいた外国人が集められていたんだけど、女の人たちが絹の服を着て、スカートをはいていてね。うらやましいなあ、と思っていた。

 だから戦争が終わってすぐ、父のスーツを仕立て直してツーピースをこしらえた。9月に箱根から完全に引き揚げるとき、それを着て品川駅に降り立ったら、通りがかりの男性に「何でそんな格好しているんだよ」って怒鳴られたわ。

 特別おしゃれなわけではない。でも、戦後はズボンをはかなかった。モンペなんかはかされたことへの抵抗、ね。ふつうの人たちがささやかな楽しみも制限される時代は、絶対におかしいでしょう。

顕微鏡:ペットボトルで手作り 子供たち参加--岡崎 /愛知

岡崎市康生通西の市図書館交流プラザで10日、顕微鏡を使った観察とペットボトルで顕微鏡を手作りする教室が開かれ、大勢の子供たちが参加した。

 同市の基礎生物学研究所が夏休み特別企画「顕微鏡で小さな生き物を見てみよう」と題して開いた。同研究所で使っている「実体蛍光顕微鏡」など計13台を用意し、オオミジンコの卵やカブトムシの触角などを観察。また、子供たちはペットボトルのふたの中央に約2ミリの穴を開け、小さなガラス玉を詰めて手作り顕微鏡を仕上げた。早速、塩の結晶やタマネギの薄皮の細胞を観察していた。【佐野裕】

夏休みの中高生?交番ガラス蹴って割る 大阪

1日午後11時25分ごろ、大阪市平野区喜連西の西喜連交番で、2人組の男の1人が出入り口のドアガラスをけって割り、自転車に2人乗りして逃走した。交番内には署員2人がいたが、けがはなかった。

 平野署は器物損壊事件として捜査。同署によると、2人はいずれも中高校生風。ガラスを割った男は白のワイシャツと黒のズボン姿で、もう1人は黄色のハーフパンツをはいていた。