被爆者すべて救済を

■第2次和解 韓国人原告「手帳前提」批判

 海外に住んでいるというだけで、日本の被爆者援護から対象外とされてきた韓国人被爆者たち。国家賠償を求めて長崎地裁に提訴した韓国人856人のうち、第2次原告の299人について11日、国との和解が成立した。「私はかつて日本人だった」と話す

 原告の許萬貞(ホ・マンジョン)さん(77)=韓国・釜山市=は、特別な思いでこの日を迎えた。(枝松佑樹)

 11日午後、和解協議を終えた弁護団が地裁から出てくると、支援者が「和解成立」と書いた紙を掲げた。許さんは何度も深々と頭を下げ「残りの原告も和解を成立させ、私たちに希望を持たせて下さい」とあいさつした。

 父が強制徴用で来日し、許さんは神戸市で生まれた。1945年2月に広島市に引っ越し8月6日、12歳の時、爆心地から約2キロの自宅で被爆した。熱線こそ浴びなかったが、飛んできたガラス片が耳や背中一面に刺さった。

 近くの川で遊んでいた弟(当時9歳)は全身にやけどを負い、1週間後に亡くなった。「私は家の掃除をしていて助かった。弟にも手伝わせておけばよかった」と今でも悔いている。父も重いやけどを負い、おじは幼い子2人を残して被爆死した。

 家族で同年11月ごろに帰国したが、同じ韓国人から「何で帰ってきた」「日本に行かなければ被爆しなかったろう」と差別を受けた。仕事がなく、一時は松の木の皮を食べて飢えをしのいだ。「強制徴用されたのに理解してもらえなかった。原爆で家族はめちゃくちゃにされたんです」

 許さんは日本の教育を受け、日本語しか話せなかった。なのに、日本に住む被爆者と同じ援護を受けられず納得できなかった。韓国人被爆者の仲間の中には、最初から援護をあきらめ、被爆者健康手帳は「紙くず同然だ」と取得の申請すらせずに死んだ者がたくさんいるという。

 国は、訴訟で受給資格が確認できれば和解に応じる方針だが、それは事実上、手帳の取得が前提となっている。「私たちのように手帳を持つ者だけでなく、すべての被爆者に救済の手を差し伸べてほしい」。許さんは、韓国原爆被害者協会の副会長も務める。仲間たちのため、これからも闘い続けるつもりだ。

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