伊勢原市の大山を目指す旅で前回、目標だったJR長津田駅の三キロ手前で中断した。「長津田から始めてしまおうか」というよこしまな考えもよぎったが、それでは「一人前」には遠い気がする。
午前九時。前回、へとへとになって電車で帰った東急青葉台駅前から再開した。
一時間ほど歩いた長津田駅近くの住宅街で「経師店」の看板を見かけた。「何だろう」とガラス戸越しにのぞくと、店主の田崎雅三さん(71)が招き入れてくれた。「経師」とは表具職人のことで、ふすまや掛け軸を表装する。「子どもたちにも『何屋さん』ってよく聞かれますよ」と苦笑する。
大手家電メーカーの会社員だったが、自分で何かを作りたいと、脱サラして一九七四年に開店。当時は一軒家が多く、手に余るほどの仕事に追われたという。だが周辺はマンション化が進み、和室も同業者も減った。田崎さんに願いを尋ねると「もう一度、味のある和室を多くの人に知ってほしい」。
正午すぎ、横浜市と東京都町田市の市境の高台で、ブロック塀にぼんやり腰掛けている男性(25)に声をかけた。大学の博士課程で学んでいるというが「進路に悩んでて、人間関係もうまくいってなくて」。同年代だけに、人ごととは思えずに話し込んだ。「一人前になりたい」と願掛けをして歩いていると説明すると、男性は「僕もです。早く一人前になりたいですね」とぽつり。
午後二時近く、大和市下鶴間に差しかかる。宿場として栄えただけに、街道沿いには商家を復元した資料館も。すぐ近くに大山阿夫利神社の分社もあり、いよいよ「大山詣で」の気分が盛り上がる。
神社境内にはなぜか新田義貞の銅像が立っていたが「大山とは無関係なんです」と神主の高下隆利さん(52)。今年一月に亡くなった父の独自調査で新田家の子孫と判明し、建立したとか。高下さんは「古文書などはなく、父だけが分かっていたことなので…」と苦笑い。
住宅街をひたすら歩き続け、薄闇が迫った午後六時半ごろ。何もない場所で足をくじき、心が折れそうになって飛び込んだのが好物の和菓子店。大正十二年創業の「二葉」で、海老名市で最も古い和菓子店だという。相模川で捕れたアユをモチーフにした焼き菓子が人気で、店主の大久保啓一さん(84)の願いは「これからもまだまだ地域にこだわる和菓子を作りたいね」。
午後七時すぎ、相模川を渡った「厚木の渡し」の跡地にたどり着く。自分で決めた今回の目標地点だ。二十七キロ、歩き通した自分にちょっぴり満足した。 (酒井博章)
<下鶴間> 江戸時代に大山街道の継立村として栄えた。江戸後期の商家の建物を活用し、街道の歴史を伝える資料館「下鶴間ふるさと館」が2006年に開館した。
<厚木の渡し> 明治時代まで相模川に渡し場があった。相模大橋を渡った厚木市側の土手に記念碑が建てられている。