東京で空襲があった 第3部(5)

◆(5)水盃 燃えた表参道
 窓ガラス打つ火の粉の音

 65年前の5月25日夜の空襲の最中、元美術教師の木村万起さん(79)と姉の神戸富起さん(86)姉妹は母と一緒に同潤会アパートに逃げ込み、命を取り留めた。

 万起さん(以下「万」) 住人は逃げた後だった。何階の部屋に入ったのか……。2DKくらいで天井も低いし、広くはないところに、避難してきた人が女の人ばかり、4、5人はいたわね。男の人は見かけなかったわねえ。

 富起さん アパートに入った時だったかしら、あなたが「これからどうなるの?」って聞いたのよ。覚えてる? 「分からない」と言ったわよ。そんなの、分からなかったわよ。

 他の人とは、会話しなかったわねえ。みんな「はあはあ」しながら、外の様子を見ているだけ。火の粉がどんどん窓に降ってきて、ガラスがぱりぱりいうの。それがとても怖かった。軍手をして、ガラスを割って入ってくる火の粉を、こうぱたぱた手で押さえて消したのよ。朝、軍手が真っ黒になってた。

 万 お母さんが「水盃(みずさかずき)しましょう」と言い出したのは覚えている。そこにいた人たちと盃を回したのよ。大人はそこで覚悟したんでしょうね。私はまだ子どもだったのね。ほかはあんまり覚えていないわ。ああ、ものすごい音だけは覚えている。火花が降ってくるような、「ばーっ、ばりばりばり」って。ケヤキの木が燃えている音だったのよね。

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